今も好きな人がいればいいんですよね

過日FANATIC◇CRISISの音楽が好きだよという人を見つけたので、ならば☆と大量(26枚…)にCDを押し付けてしまいました。
なんでそんな酷い数になったかというと、そのときベストアルバムが見つからなかったからです…
26枚もあって、まだPOPと5、marvelous+も渡せてない…(見つからなかったから…(死亡))
oneもまだだった。これは持ってると踏んでたんであえて外したんですが、まさかEASを持ってるとは大誤算でした。(渋すぎだよ…)
こんなに押し付けたら消化不良になってしまうんじゃないかと、かなり心配だったんですけど、気に入ってもらえたようです。
良かったー!
ファナファン減らしたら、ファナに申し訳がたたないし、何より私も凹む…


その人が「何で解散したんだー!!」と魂の叫びをつづっていたのを見て、そういえば解散してしばらくは、私もずっとどうにもならないそのことを考えていたなあと思い出しました。
でも今回のことで、少し考えが変わったかも。


解散して今なお、彼らの音楽はこうしてファンを作る。
彼らの音楽を良いと思って聴いてくれる人がいる。
それって素晴らしいことですよね。
それだけで良いじゃないかと思ったんです。


同時にずっともやもやしていた、あることも整理できました。


ある人とたまたまマジメな話になって。
そのとき相手がすごく弱気発言をしていて、でもその人は仲間内で父ちゃん的な存在だと思ってるので、そんなに弱気になることはないと思っているのに、うまくそれを伝えられなかったんです。


唐突ですがフルーツバスケットという漫画(名作)にこんなセリフがあります。

例えば人の素敵というものが
オニギリの梅干のようなものだとしたら
その梅干は背中についているのかもしれません


世界中誰の背中にも
色々な形
色々な色や味の
梅干がついていて
でも背中についているせいで
せっかくの梅干が見えないのかもしれません



多分ね、その人も自分の梅干が見えてなかったんだと思うのです。
でも仲間は皆ちゃんとその人の梅干を見えていると思う。
私もまだ付き合いが浅いけど、おにぎりの全体もつかめていないと思うけど、でも梅干の一部は見つけたよ。
だからもっと自信を持って良いと思っています。


次そういう話になったら(なるか?)、そう伝えられたら良いなと。


ファナの件も、今でもちゃんと梅干をみつけてくれる人がいて、それはとても幸せなことだと思いました。