たまにはこんな話も。



言っていることを真に理解するというのはなかなか難しいものですね。


2年ほど前に
「誰かのためにやる」
と言うことについて考えたことがあります。
ケースバイケースではあると思うんですけど。
例えば自分の欠点を直したいような場合だと、それは「誰かのため」じゃなくて、「自分のため」にやるべきなんじゃないかと思ったのです。
でもなぜそうなのかを上手に説明できないし、何でそう思うのかもよく判らない。
判らないながらも、もやもやっとそう思っていました。


その後、『十八の夏(光原百合)』という小説を読んだら、もやもやの答えにぴったり来る文章が!

”人のためと言ったって、たいていは自分のために行動してる。
誰かのために何かをするのは、その人が悲しむのを見ると自分が辛いからだ。
(中略)
それでいいんだよ。
ただそれを忘れちゃいけない。
忘れると、自分はアンタのためにこんなにやってあげたって優越感が生まれる。
なのにアンタは返してくれなかったって恨みが残る。
(中略)
自分が犠牲になるという気持ちが残るようなら、そっちを選ぶのはやめておけ。
恨みを抱いて生きる人生ほどつまらないものはないぞ。”
(「兄貴の純情」より抜粋。適宜改行)



そうなんだ。
「こんなにやってるのに、なんで判ってくれないの!」
ってなる。
続かないし、辛くなったり、くじけたりする。
この文章を読んだときはもやもやが晴れたのですっきりし、理解した気になっていたのですが。


その後、ある出来事に関し、今度は自分が「自分のために」という思いになりきれてなかったことを思い知りました。
どこかやっぱり「人のために」って思ってしまっていたのです。


あれですね。
見極めとしては、お礼を言われたときなどに
「自分のためにやってたのにお礼言われちゃったよ、ラッキー♪」
位思えるところまで行ってはじめて、「自分のために」やっていることになるんじゃないかと。




今サブでやっている仕事ってそれに近いかもと思いました。
あの仕事は、会社のためにってあまり思ってないんですよ。
(それはそれで問題発言かもしれませんが(^^;)


サブの仕事に配属になったとき、その仕事自体について
「どうせできっこないよ」
と、影で鼻で笑っていた人がいたと聞いて、すごく腹立たしかったんです。
こっちだって好きで配属になった訳じゃないのに、関係ない人は気楽でいいわよね#!!!
これはもう見返すしか!
やりとげて、ばしっと鼻っ面につきつけて、ぎゃふんと言わせたる!


自分のそういう復讐心?のためにやっている部分が、実は大きかったりして。
だからその仕事に対して評価されたのはとても有難いんですけど、どこか
「棚ぼたラッキー」
と思ってしまいました。
これが会社のためとか、評価のためだったりすると、思ったとおりに評価されないと恨みが残るだろうなと、ちょっと思いました。
そういう意味では、鼻で笑った人に感謝ですね。
誰だか未だに判ってないのですが。
って、それじゃ復讐できないじゃん!!!




まあ、そんな訳で、失敗しちゃった出来事については挽回を目指し、今度こそ「自分のために」頑張ろうと思っています。
名誉挽回、汚名返上です。
(これ、間違った使い方をする人が多い用語のひとつらしいですね。
 「汚名挽回」て言う人が増えてるそう。
 汚れた名前など、こんなん私の名前じゃない#って叩き返さないと!)


生きていくって難しいな!
でもちょっとしたことでも学べると賢くなった気がするし(単純)、クリアできると嬉しいです。
失敗しても、学んで、挽回して。
それの繰り返しで、ちょっとずつでもマシな人間に…
近づけているといいなあ。